- 熱意には、教える人の内側の楽しさと、声や表情などに表れる伝え方の両面があります。
- 学校の調査では、教員の熱意が生徒の楽しさや意欲と結びつき、授業の質を経由して成績につながる結果があります。
- 熱意ある説明と淡々とした説明を比べた記憶の実験では、取り組みの増加と成績の向上は別の結果になりました。
- 表現豊かな講義への高い評価を、そのまま「学んだ錯覚」と呼ぶ解釈は追試で支持されませんでした。
- 授業後に子が説明できる内容と、自発的に始めた行動を分けて残すと、印象の中身を確かめやすくなります。
塾の講師の熱意は子に伝わるか|教える人の熱意と意欲の研究
北口へ続く歩道で、子どもが保護者に授業中の講師の話し方を身ぶりで伝えています。「あんなに楽しそうに教えてくれる人なら、この子も勉強を好きになるのでしょうか」と、子の様子を見た保護者には期待が浮かびます。武蔵境の塾を検討するとき、説明の勢いや教科への思いは、授業の中身とともに印象に残ります。子どもが講師の話を楽しそうに再現していると、勉強にも前向きになったように感じられます。
教える人の熱意は子の楽しさや意欲と結びつき、授業の質を通じて成績にもつながりうる一方、熱意ある話し方だけで記憶の成績が上がったという結果は確かではありません。 「楽しかった」「取り組んだ」「自分で解けた」は、別々の変化です。楽しさを学力の代わりに扱うと期待が先走りますが、点数が変わらなかったからといって楽しさの変化まで消えるわけでもありません。研究でも、教える側が感じた楽しさ、生徒が受け取った熱意、テストの成績を、それぞれ異なる方法で調べています。
要点
- 熱意には、教える人の内側の楽しさと、声や表情などに表れる伝え方の両面があります。
- 学校の調査では、教員の熱意が生徒の楽しさや意欲と結びつき、授業の質を経由して成績につながる結果があります。
- 熱意ある説明と淡々とした説明を比べた記憶の実験では、取り組みの増加と成績の向上は別の結果になりました。
- 表現豊かな講義への高い評価を、そのまま「学んだ錯覚」と呼ぶ解釈は追試で支持されませんでした。
- 授業後に子が説明できる内容と、自発的に始めた行動を分けて残すと、印象の中身を確かめやすくなります。
先生の熱意は生徒にどう見えるのか
「熱意のある講師」と聞いて思い浮かぶ姿は、人によって違います。声に力がある人、教科の面白さを語る人、解き方を粘り強く説明する人を、同じ言葉で呼ぶことがあります。ところが、それぞれは声の出し方、本人の気持ち、実際の教え方という異なる特徴です。「熱意があるから伸びる」という説明は、何を熱意と呼んだかによって意味が変わります。
Keller ほか(2016)は、教員の熱意に関する研究を見直し、定義や測り方がばらばらになっていると指摘しました。研究者は熱意を、教員自身が感じる楽しさと、外に表す表現を合わせたものとして捉え直しています。教員が「教えるのが楽しい」と答えることと、生徒が「楽しそうに教えている」と答えることは、別の測定です。内側の気持ちを質問する調査と、見える振る舞いを評価する調査では、同じ名前でも調べている部分が異なります。
この総説は、複数の研究の差を同じ物差しで計算し直すメタ分析ではなく、概念や測定方法を整理する研究です。そのため、熱意を増やしたときに点数がどれだけ動くかという平均の効果量、つまり差の大きさを表す数を提示する役割とは異なります。むしろ、教員自身の楽しさを扱った結果と、話し方だけを変えた実験を同列に並べる前に、何を測ったかをそろえる役割を持っています。表現が豊かな授業への好感と、学ぶ内容への関心も、区別して読むべき結果です。
この違いは、研究どうしの結論が食い違って見える理由にも関わります。ある調査で生徒の楽しさと熱意が結びつき、別の実験で記憶の得点が変わらなかったとしても、測っている結果は同じではありません。楽しさの調査に答えることと、覚えた内容をテストで取り出すことでは、求められる反応が違います。熱意の研究を読む出発点は、教える側のどの特徴と、学ぶ側のどの変化を組み合わせたかにあります。
教員の楽しさと生徒の楽しさをつないだ研究
Frenzel ほか(2009)は、中学段階の数学について、71学級の1,542人が答えた授業の楽しさを調べました。生徒が前の学級で感じていた数学の楽しさを分析で考慮しても、教員が授業を楽しんでいるほど、生徒の楽しさも高いという関係がありました。その間をつないでいたのが、生徒から見た教員の熱意です。教員が楽しいと感じていることだけでなく、その気持ちが生徒にどう映っているかが、分析の中に入っています。
この研究で扱った成果は、数学の授業を楽しむ気持ちです。すでに数学を楽しんでいた生徒が集まっていたという違いを考慮した点は、単にその時点の回答を並べる調査から進んだ点です。それでも、教員と生徒の状態に手を加えず関係を調べる相関の研究であり、熱意だけを変えた実験とは設計が異なります。結果は、授業の楽しさが教える人と学ぶ人の間で結びついている姿を示しています。
さらにKeller ほか(2018)は、授業ごとの日誌を使って、教員自身が感じた熱意と、生徒から見た熱意ある教え方を照らし合わせました。本人が熱意を感じていても生徒にはそう見えない授業や、生徒には熱意が伝わっていても本人はそう感じていない授業がありました。教員側も生徒側も熱意が高いと捉えた授業では、ほかの組み合わせに比べて、生徒の楽しさや退屈の面で良い結果がありました。本人の気持ちと受け手の印象は、いつも同時に高くなるわけではありません。
授業ごとの記録には、教員を一度評価して終わる調査とは違う意味があります。「熱意のある人」という固定した人物像ではなく、その授業で本人が何を感じ、生徒がどう受け止めたかを扱えるからです。この研究が比較した組み合わせの違いは、楽しさや退屈という感情の違いでした。生徒に届く熱意を扱ううえでは、教員の自己評価だけに頼らない測り方が研究の特徴になっています。
成績につながる研究では授業の質と意欲が間にある
Kunter ほか(2013)は、ドイツの中等学校の数学194学級を対象に、教員の力、授業の質、生徒の成績と意欲の関係を調べました。教えることへの熱意は、教科をどう教えるかという知識や、自分の行動を調整する力と並んで、授業の質に良い関係を示しました。さらに、その授業の質が生徒の成績や意欲と結びついていました。分析が示した道筋には、教員の熱意と生徒の成果の間に、実際の授業の質が入っています。
この比較は、勢いのある説明と静かな説明だけを入れ替えるものではありません。現実の学校の授業を調べ、教員のさまざまな特徴と、生徒が経験する授業とを関係づけています。そのため、「熱意の高い人なら教える知識は問わない」という読み方とは合いません。教科の指導に関する知識も授業の質に関わっており、研究では熱意を教える力のほかの側面と並べて扱っています。
Jungert ほか(2020)は、スウェーデンの理系の高校の最終学年に在籍する288人を1年にわたって追いました。生徒が感じる親と教員の熱意は、理数の活動への内発的な意欲、つまり楽しさや興味から取り組む気持ちを予測しました。その意欲が、成績の平均点の変化と結びついていました。ここでも、大人の熱意から成績へという関係の間に、生徒自身の取り組む気持ちが入っています。
理系の高校課程の終わりにいる生徒を追う設計では、すでにその分野を学んでいる生徒の変化が中心です。数学の学級を幅広く調べた研究とは、参加者の学習歴や学ぶ内容の範囲が違います。また、親や教員の熱意は生徒の報告に基づき、生徒がどう受け取ったかを表しています。授業の質を間に置いた研究と、本人の意欲を間に置いた研究は、成績とのつながりを異なる角度から描いています。
熱意ある説明で取り組みが増えても記憶は別です
Motz ほか(2017)は、記憶課題の説明を、熱意のある動画と淡々とした動画で比べました。2つの実験を通じて、熱意のある説明による記憶の成績への確かな効果は見られませんでした。一方で、熱意のある説明では解答の空欄が減り、課題への取り組みは増えました。同じ実験の中で、取り組む行動と、覚えてテストで答える成績が別の結果になった点が重要です。
この実験は、学級ごとの教員の特徴を調べる研究とは、比べた相手の作り方が違います。記憶課題に取り組むときの説明の仕方を変えて、熱意の有無を比較しています。同じ研究では、学ぶ機会の間隔を空ける方法は記憶の成績を改善しており、測定した成績がどの条件にも反応しなかったわけではありません。説明に熱意を込めることと、記憶を支える学び方を変えることは、異なる操作でした。
ここまでの研究を、楽しさや意欲と成績に分けると、結果の違いを追いやすくなります。表の比較相手は、研究者が動画の説明を変えた場合と、実際の学級で熱意の程度の違いを調べた場合とで異なります。成績を測る研究にも、学校での学業の成果を扱うものと、短い記憶課題の正答を扱うものがあります。
| 研究 | 比べた相手・対象 | 楽しさ・意欲・取り組み | 成績 |
|---|---|---|---|
| Frenzel ほか(2009) | 数学の学級間で教員と生徒の状態を比較 | 教員の楽しさと生徒の楽しさが熱意を介して関連 | 測定の中心は楽しさ |
| Kunter ほか(2013) | ドイツの中等学校の数学学級 | 授業の質を通じて意欲と関連 | 授業の質を通じて関連 |
| Jungert ほか(2020) | 理系の高校生が感じる大人の熱意の違い | 理数への内発的な意欲と関連 | 意欲を通じて変化と関連 |
| Motz ほか(2017) | 記憶課題で熱意ある説明と淡々とした説明 | 熱意ある説明で空欄が減少 | 熱意による確かな改善なし |
高い授業評価を「学んだ錯覚」と決めつけない
Abrami ほか(1982)は、表現豊かな講師への評価をめぐる研究をまとめました。講師の表現の豊かさは学生による授業評価を大きく動かした一方、成績への影響は小さいという結果でした。授業の評価を答えるときの反応と、学習の成果を測ったときの反応は、同じ大きさではなかったのです。主に大学の授業評価を扱う古い研究群をまとめた総説で、表現の豊かさがどの結果を動かすかという点が焦点です。
ただし、話し方を高く評価したことから、学生が学んだつもりになったと結論づけるには、もう別の確認が要ります。Peer ほか(2014)は、表現豊かな講義が高く評価されるという、いわゆるドクター・フォックス効果を追試しました。追試は、元の研究の手順で結果をもう一度確かめる研究です。元の講義動画と手順を使うことで、別の話者や別の内容への変更による違いを避けて検討しています。
Peer ほか(2014)では、学生が面白い講義を楽しみ、高く評価する結果は再現されました。しかし、学生が実際には学んでいないのに学んだと信じ込んだ、という解釈は支持されませんでした。学生は楽しんだことと学んだことを区別していたのです。高評価を学習成果の代わりにする読み方と、高評価をすべて錯覚と片づける読み方は、どちらもこの結果の中身を取り落とします。
これらの研究は、熱意が低い授業ほど良いという順位を示すものでもありません。表現の豊かさを変えたときに、評価と成績がどのように動くかを調べています。熱意のある講義への好感には、それ自体として楽しさを表す意味があり、成績とは別に扱う余地があります。教える人を魅力的に感じたという回答の中に、記憶や理解の得点まで読み込むことが、研究の比較を曖昧にします。
家庭では印象・行動・説明を分けて確かめます
授業後の様子を確かめるときは、子どもの「楽しかった」をそのまま受け止めるところから始めます。そのうえで、どの内容が面白かったのか、自分でも続けてみたいことがあるかを聞きます。話しぶりの再現が出てくる場合と、習った内容への疑問が出てくる場合を、同じ「やる気が出た」にまとめずに記録します。これは熱意の点数を付ける作業ではなく、子どもの変化を具体的に残すための手順です。
内容の確認には、授業で扱った問題や用語を使います。答えだけを言えるかに加えて、途中の考え方を自分の言葉で説明できるか、どこで説明が止まるかを見ます。言葉にするのが難しい子なら、途中式や図を指しながら説明する形でも構いません。話す量の多さを意欲の物差しにせず、その子が示しやすい方法で確かめます。
- 楽しさの記録:講師の話し方と、学んだ内容のどちらについて話したか
- 行動の記録:授業後に自発的に解き直したか、疑問を出したか
- 理解の記録:答えの理由を説明できたか、助けが要る箇所はどこか
- 負担の記録:説明の勢いについていけたか、自分で考える間があったか
にぎやかな話し方が苦手な子には、楽しそうな反応を求めないようにします。本人が勢いに押されて質問を挟めないと話すなら、その困り方を具体的に確かめます。質問する間を設ける、説明の途中で子が考えを示す機会を作るなど、教える人と調整する内容を絞れます。こうした対応は、特定の気質に熱意が逆効果だという研究結果ではなく、本人が訴えた負担への対処です。
記録がたまったら、扱った単元や課題の難しさも添えて、楽しさと理解の変化を見直します。取り組みが増えて説明が止まる場合には、どの内容を補うかが次の話題になります。印象と行動と説明を別々に残せれば、熱意への期待を保ちながら、授業で補いたい箇所を具体的に伝えられます。
よくある質問
熱意がある講師に習えば成績も上がりますか
成績と結びつく結果はありますが、授業の質や生徒の意欲を間に置いた関係として示されています。成績とのつながりを扱った節の学校調査と、記憶の実験では、比べた相手も測った成果も異なります。説明の熱意を変えた実験では、取り組みが増えても記憶の成績には確かな改善がありませんでした。熱意を持って教えることには意味がありうる一方、それだけで点数の伸びを約束する結果ではありません。
子どもが楽しかったと言うのは、学んだつもりになっているだけですか
「楽しかった」という言葉だけを錯覚と呼ぶ根拠は弱いです。授業評価を扱った節の追試では、学生は面白い講義を楽しみながら、学んだかどうかは別に捉えていました。楽しさの報告は、楽しさについての情報として読むことができます。子どもの好感を打ち消すことと、理解まで確かめずに済ませることのどちらにも、この追試は根拠を与えていません。
淡々と教える人には熱意がないのでしょうか
見える表現と、本人が感じている楽しさは同じではありません。授業ごとの日誌を扱った研究では、教員の内側の気持ちと生徒の受け止めが一致しない組み合わせがありました。外から見た勢いが控えめでも、本人の気持ちまで低いとは決まりません。反対に、熱意があるように見える話し方だけで、教員の内側の状態や子の学びの成果がすべてわかるわけでもありません。
この記事の限界
比べた相手には、学校の学級間の違いと短い記憶課題の動画条件が混在し、授業の楽しさと学業成績を同じ成果としてまとめるには隔たりがあります。熱意の効果を数でまとめたメタ分析は今回の範囲で得られておらず、研究ごとに熱意の定義と測り方が異なります。学校の追跡調査にはドイツやスウェーデンの数学・理系の生徒の研究がある一方、授業評価の研究は主に大学段階を扱っています。
日本の小中高生や家庭で熱意と成果を追った研究は今回の範囲になく、熱意だけを変えた授業の長期の成績も未検証です。個別の授業で講師の熱意を測った研究も得られておらず、集団授業で見られた関係を個別のやりとりにまで広げる根拠は不足しています。
参考文献
- Keller ほか. Teacher enthusiasm: reviewing and redefining a complex construct. Educational Psychology Review. 2016;28(4):743-769.
- Frenzel ほか. Emotional transmission in the classroom: exploring the relationship between teacher and student enjoyment. Journal of Educational Psychology. 2009;101(3):705-716.
- Keller ほか. When teacher enthusiasm is authentic or inauthentic: lesson profiles of teacher enthusiasm and relations to students’ emotions. AERA Open. 2018;4(2).
- Kunter ほか. Professional competence of teachers: effects on instructional quality and student development. Journal of Educational Psychology. 2013;105(3):805-820.
- Jungert ほか. Examining how parent and teacher enthusiasm influences motivation and achievement in STEM. The Journal of Educational Research. 2020;113(4):275-282.
- Motz ほか. A dissociation between engagement and learning: enthusiastic instructions fail to reliably improve performance on a memory task. PLOS ONE. 2017;12(7):e0181775.
- Abrami ほか. Educational seduction. Review of Educational Research. 1982;52(3):446-464.
- Peer ほか. The Doctor Fox research (1973) rerevisited: “educational seduction” ruled out. Journal of Educational Psychology. 2014;106(1):36-45.
通知表の数字の手前で止まっている一問から、講師と二人で始める。
- 向く人: 内申が気になり始めたのに、どの教科のどこで止まっているのかを、子も保護者も言葉にできていない中学生
- 向く人: 通塾の日だけ机に向かい、ほかの日の学習習慣が続かないことを、授業の中で一緒に組み直したい家庭
- 向かない人: 英検や内申の結果を、通う回数を増やすことだけで変えたいと考えている家庭
- 向かない人: 一人の講師と向き合うより、大勢と競い合いながら速い進度で先へ進みたい人
このサイトは武蔵野個別指導塾の運営者が制作しています。武蔵境駅から徒歩30秒、講師が一人の生徒に付きっきりの完全1対1で、大学教員や東京大学・早稲田大学・慶應義塾大学の大学院生などが教えます。アルバイト講師はいません。
よくある質問
熱意がある講師に習えば成績も上がりますか
成績と結びつく結果はありますが、授業の質や生徒の意欲を間に置いた関係として示されています。成績とのつながりを扱った節の学校調査と、記憶の実験では、比べた相手も測った成果も異なります。説明の熱意を変えた実験では、取り組みが増えても記憶の成績には確かな改善がありませんでした。熱意を持って教えることには意味がありうる一方、それだけで点数の伸びを約束する結果ではありません。
子どもが楽しかったと言うのは、学んだつもりになっているだけですか
「楽しかった」という言葉だけを錯覚と呼ぶ根拠は弱いです。授業評価を扱った節の追試では、学生は面白い講義を楽しみながら、学んだかどうかは別に捉えていました。楽しさの報告は、楽しさについての情報として読むことができます。子どもの好感を打ち消すことと、理解まで確かめずに済ませることのどちらにも、この追試は根拠を与えていません。
淡々と教える人には熱意がないのでしょうか
見える表現と、本人が感じている楽しさは同じではありません。授業ごとの日誌を扱った研究では、教員の内側の気持ちと生徒の受け止めが一致しない組み合わせがありました。外から見た勢いが控えめでも、本人の気持ちまで低いとは決まりません。反対に、熱意があるように見える話し方だけで、教員の内側の状態や子の学びの成果がすべてわかるわけでもありません。